【前面展望】特別快速きたみ 常紋峠

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  • Опубликовано: 18 ноя 2024

Комментарии • 6

  • @二宮金次郎-l2o
    @二宮金次郎-l2o Год назад +4

    常紋トンネルは凄惨なタコ部屋労働で建設されたことでも有名である。本州から集められた「タコ」とよばれた労働者は、わずかな食事と過酷な労働から、1914年10月の工事完了までの間に100人を超える死者を出した[1]。
    施工当時、重労働と栄養不足による脚気から労働者は次々と倒れ、倒れた労働者は治療されることもなく暴行を受け、遺体は隧道や現場近くの山林に埋められたといわれる[1]。これについては、山菜取りに来た近隣の住民が、人間の手や足の骨を拾ったという話もある[2]。
    開通後、トンネル内でしばしば急停車事故が起こったこともあり、日本国有鉄道(国鉄)中湧別保線区は当時の町長の協力を得て、1959年(昭和34年)に常紋トンネルから留辺蘂町側へ約1キロメートル進んだ箇所に慰霊目的として歓和地蔵尊(かんわじぞうそん)を作った。
    その地蔵尊の裏側にある空き地からは、これまでおよそ50体の遺骨が国鉄職員の家族らによって発掘されており、毎年6月に供養祭を行っている[1]。
    監督の指示に従わなかったためにスコップなどで撲殺されたタコ労働者が、見せしめのためにトンネル内に人柱として立てられたという話が言い伝えられていた[1]が、1968年(昭和43年)の十勝沖地震での壁面損傷に伴う改修工事を行ったところ、1970年(昭和45年)9月、常紋駅口から3つ目の待避所の拡張工事中に、レンガ壁から60センチメートルほど奥の玉砂利の中から、頭蓋骨に損傷のある人骨が発見され、人柱の伝説は事実であったことが明らかとなった[1]。
    ある保線区員は「みんなが『人柱』だといってました」「ほかにも埋まってる可能性があると思います」と語っている[3]。
    その後の発掘調査で、さらに10体の遺体が発見収容された。
    JR(旧国鉄)やなぁ☺

  • @cブレンパワードゆっくり
    @cブレンパワードゆっくり 8 лет назад +24

    石北本線皆で最後まで使ってあげて。!!!!!!!!

    • @psychedelicraspberry517
      @psychedelicraspberry517 Год назад +1

      「最後まで」ってどういう意味?最後なんか来ないから!😜

  • @大友悠-y3s
    @大友悠-y3s 3 месяца назад

    怖いよぉ😢💦

  • @原田そら-r8f
    @原田そら-r8f 7 лет назад +11

    電子警笛?

  • @さいとうきりと
    @さいとうきりと 4 года назад +4

    👍❤️